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UPDATE|2024/01/29

『不適切にもほどがある!』永遠の中坊男子クドカンが問いかける多様性

『不適切にもほどがある!』公式HPより



1986年は、中坊男子がおニャン子クラブに夢中になり、“新人類”という言葉が流行し、ビートたけしがフライデーを襲撃し、畑正憲が監督・脚本を手掛けた『子猫物語』が大ヒットして、明石家さんま&大竹しのぶが共演した『男女7人夏物語』が人気を博した年だった。1971年生まれの宮藤官九郎は、当時15歳。純子に一目惚れする中学二年生の向坂キヨシ(坂元愛登)と同い年である。

2024年の現在から1986年の過去にタイムスリップした彼は、「テレビでおっぱいが観たいんだ!地上波でおっぱいが観たいんだ!」という理由で、昭和の時代に残ることを選択する。それはコンプライアンスという社会的問題としてではなく、昭和おじさんとしての宮藤官九郎の素直な想いなのだろう。有害判定されやすいコンテンツが地上波から駆逐され、ABEMAなどのネット番組へとアンダーグラウンド化していくことへの、偽らざる想いなのだろう。

だが『不適切にもほどがある!』は、昭和おじさんの逆襲という大それたものではない。むしろ秋津睦実(磯村勇斗)という、令和的価値観と昭和的価値観の中間的なポジションにいるキャラクターに、「だから話し合いましょう、今日は話し合いましょう」とミュージカル的演出で歌わせて、真の多様性は何なのだろうと問いかける。市郎が叫ぶ「冗談じゃねえ!こんな未来のために、こんな時代のために頑張って働いている訳じゃねえよ!」というセリフすらも、多様性を考えるうえでのひとつの問いかけに過ぎない。その手つきは非常にクレバーだ。

『池袋ウエストゲートパーク』(2000年)にせよ、『木更津キャッツアイ』(2002年)にせよ、『ごめんね青春!』(2014年)にせよ、宮藤官九郎はホモソーシャル的な空間のなかでワチャワチャするボンクラ男子を描いてきた。そんな“永遠の中坊男子”クドカンが、第2話以降どんな物語を紡いでいくのか、期待を持って待ちたい。

【あわせて読む】今までのクドカン作品と何が違う? Netflixドラマ『離婚しようよ』で見せた“家族”の新しいカタチ
AUTHOR

竹島 ルイ


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