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UPDATE|2024/03/16

篠原冴美「素直でなかった自分…恵比寿マスカッツが教えてくれた仕事への誇りと母への愛」

撮影◎松山勇樹

11歳で芸能活動を始め、モデル、俳優などのキャリアを積み、高校3年生で青年誌のミスコンでグランプリを受賞。恵比寿マスカッツでの活動を経て、現在はタレント業の一方で、プロ雀士としても活躍する篠原冴美。多岐に渡って活動を続ける彼女だが、ここに至るまでは最愛の人の死、貧苦に喘ぐ日々、グラビアや男性に対する不信感など、様々な艱難辛苦があった。20年間に渡る芸能活動を紐解く。(3回連載の2回目)>>1回目は下の関連記事からご覧ください。

【写真】プロ雀士としても活躍、篠原冴美の撮り下ろしカット【11点】

2011年10月、転機となる番組のレギュラー出演が決まる。人気バラエティ番組『おねだりマスカットSP!』で、恵比寿マスカッツの7期生に選ばれた。

「グラビアに区切りをつけて、新しいことにチャレンジしたくてオーディションを受けたんです。恵比寿マスカッツは、番組だけじゃなくて、ライブ活動やイベント出演などもあって、勉強になることばかりでした」

恵比寿マスカッツのメンバーになってからも生活は苦しく、バイトとの掛け持ちは続いた。

「既にすごく有名な方もいらっしゃいましたし、恵比寿マスカッツの年収格差はすごかったです(笑)。心配をかけたくないのもあって、そこまで貧乏だとは言えなかったんですが、『どうして冴美は、いつもパジャマで来るの?』って聞かれることもあって。というのも服が買えないから、そのパジャマしか着るものがなかったんですよね。そういう事情を察してくれたのか、先輩の麻美ゆまさんや吉沢明歩さんから服をいただくこともありました。

恵比寿マスカッツに入って得たものは本当にたくさんあって。お仕事の面もそうなんですが、何より仲間ができたことが大きくて。私は“マスファミ”(マスカッツファミリー)と呼んでいるんですが、いまだに応援してくれるファンの皆さんがいて、総合監督のマッコイ斉藤さんも含めたスタッフさんがいて、30人の仲間たちがいる。

当時のメンバーとは今も全員仲が良くて、今でもグループLINEが稼働していますし、1週間に1回は誰かしらと連絡を取っています。全員真面目で、大人な人たち。私がグループ最年少だったんですけど、すごくかわいがってもらって、家族やお仕事の相談にも乗ってもらいました。毎日、死ぬ思いで生きていましたけど、先輩たちのおかげで救われました」

2012年5月から6月にかけて、恵比寿マスカッツは全国ツアー「恵比寿マスカッツ全国CAMP『そうだ!いろんなトコ行こう』第3弾」を実施。全国10カ所を回り、6月17日のファイナル公演はZepp Tokyoで開催することが決まっていた。

「Zepp Tokyo公演の練習中、いきなりマッコイさんから呼び出されました。そのときに『お母さんと仲が悪いの?』と聞かれて。そこまで詳しい話はしていなかったんですけど、ブログにお母さんへの複雑な思いを綴っていたので、なんとなく状況を察していたんでしょうね。そこで『お母さんと仲直りをしないとZepp Tokyoには出せない』と言われたんです」

マッコイ斉藤は母親と同じ年齢、実の父親のように慕っていた。

「来る来ないに関わらず、お母さんをZepp Tokyo公演に誘いなさいと言われて。マッコイさんの方で、わざわざお母さんに確認を取れるわけじゃないので、『誘ったけど断られました』と言えば済んだんです。ただ私は変に真面目なところがあって。それに私自身、どこかで仲直りのきっかけを作りたかったのもあったんです。お父さんの例もあるし、いつお母さんが亡くなるかも分からないし、もしかしたら自分がそうなるかもしれない。だから思いきってお母さんに連絡をしたら、『行けるか分からない』という答えで、一応招待客のリストに入れてもらいました」

本番当日、マッコイ斉藤から新曲『おかあさん』の大切なパートを任せると告げられた。
AUTHOR

猪口 貴裕


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