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UPDATE|2021/08/07

リング上で火炎を噴射! 30年前に存在した地上波NG超過激プロレス団体「W★ING」とは?

今回、W★INGに関する書籍が初めて出版される

 
今年の8月7日で設立から30周年を迎えるW★INGにプチブームが到来? ただ、この流れは誰かが音頭をとって進められたものではなく、それぞれが勝手に動いていたもの、だという。本来であれば、後楽園ホールあたりで30周年記念興行を開催してもよさそうなものだが、その予定もない。

コロナ禍の影響? いや、そうではないのだ。実はW★INGという団体はとっくに潰れてしまっているので、やりたくでもできない、というのが実情。かつての人気選手たちの多くもすでに引退してしまっており、同窓会的な大会もまず開催できない。

1991年8月7日に旗揚げしたW★INGは1994年3月13日の試合をもって、事実上の崩壊。その歴史はわずかに2年7カ月。どこからどう見ても短命の泡沫団体だが、その短い歴史の中で「W★INGフリークス」と呼ばれる熱狂的なファン層を生み出し、後楽園ホールにはいつも異様な熱気が漂っていた。

2年7カ月の歴史、といっても、そもそもは「世界格闘技連合W★ING」としてスタートした同団体はたったの3カ月で分裂。その団体名の通り、多くの格闘家を集めて発信したのだが、敵として立ちはだかったのは、当時、大仁田厚の宿命のライバルとしてその名を轟かせていた「極悪大王」ことミスター・ポーゴ。あくまでも格闘家としてプロレスラーと異種格闘技戦をおこなうつもりでいた選手たちは、旗揚げ戦からいきなりイスでボコボコにぶっ叩かれて大流血。闘いながら「なんなんだよ、コレ!」と憤っていたというから、もうスタートした段階で分裂は必至だった。

そして枝分かれするような形で生まれた「W★INGプロモーション」では格闘技色を完全排除。のちに「ミスターデンジャー」と呼ばれるようになる松永光弘が後楽園ホールのバルコニーから決死の8メートルダイブを敢行したことでプロレスファンの度肝を抜き、そこからファイアーデスマッチ、五寸釘デスマッチと超過激な路線を突き進み、たくさんのファンを熱狂させた。

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