FOLLOW US

UPDATE|2021/08/22

衝撃展開にSNS上で話題『准教授・高槻彰良の推察』、作中に登場した「民俗学」を考える

東海テレビ・フジ系「准教授・高槻彰良の推察」 高槻彰良(伊野尾慧)


わら人形を使った「丑の刻参り」は行う時間、五寸釘を使用、などかなり厳密なルールが決められたの行為だ。そもそも、人形に行った行為は人にも反映する、とされて日本だけでなく世界各地で似たような儀式が伝えられている。

そんな呪いの行為だが、日本で一番流行したのは貴族が権力を持っていた平城京や平安京の時代。この時代、呪詛行為は公的なもので、私的に行うことは法律で禁じられていた。例えば757年の養老律令に蟲毒魘魅(こどくえんみ)を禁ずる法律が記されている。(※蟲毒:動物や虫を殺しその魂を送り付ける呪詛 魘魅:人をまじないによって呪い殺すこと)禁を犯せば流罪などになったようだ。逆に言えば、それだけ呪詛を信じ、行うものが多かったとも言える。武士が支配する時代と違い、血を流すことを忌避した貴族にとって、「呪詛」は政敵を撃ち滅ぼす唯一の手段だったのかもしれない。

「人を呪う動機は何か? それは古来より恨みと嫉妬です。(中略)平安時代の貴族は役職や住んでいる場所で呼ばれ、本名は隠していました。(中略)名前を知られると、呪いに使われる可能性があるからですよ! それほどに人は呪いを恐れていたんです」

桃太郎や節分の豆まきなどでおなじみの鬼。語源説として最も古いものが平安時代中期に編纂された辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に書かれたものとされている。「鬼(おに)は物に隠れて姿を現さないので『隠(おぬ)』と呼ばれ、それが『鬼(おに)』に転じた」という説だ。

古代、日本では自然界の全てのもの・現象に霊魂が宿る(アニミズム信仰)と考えられてきた。つまり雷などの人知を超えた現象は、聖なるものが引き起こした、と考え、崇め祀ることで自身に災いが及ばぬよう祈ったのだ。

その流れを汲んだ状態で「出雲国風土記」に登場する“一つ目の鬼”を考察してみる。「出雲国風土記」にはタタラ(製鉄)場で一つ目の鬼が人を食うという記述があるのだが、製鉄には火がつきもの。燃え盛る炎を見ながら作業をしていた人がその明るさで失明してしまうことがしばしば起きたのではないだろうか?タタラの炎が片目を奪う→目を奪う鬼(人智を越えた現象)→そこから“一つ目の鬼が人を食う”。現象を解釈するために鬼は生まれたのかもしれない。

「そもそも『おに』とは『おぬ』が転じたもので、本来は見えないもの、この世ならざるものを指したと言われているんだよ。自然災害や不可思議な現象を当時の人々はこの世ならざる者、鬼の仕業だと解釈した……。現象を解釈するために鬼という存在が生み出された」

以上、3つのネタを書き連ねたが、民俗学は奥深くそれぞれ諸説あるので、もし興味を持った方がいれば、さらに詳しく調べてみるのも面白いかもしれない。

RECOMMENDED おすすめの記事