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UPDATE|2022/07/26

ミスターデンジャー松永光弘が師匠・青柳政司を偲ぶ「まだ茫然…本当に大きすぎる存在」

松永光弘



だが、結局、パイオニア戦志はあっけなく崩壊。青柳館長は新日本プロレスに参戦し、獣神サンダー・ライガーとの異種格闘技戦で、さらに知名度を上げた。のちに松永も新日本のリングに上がり、シングルマッチで青柳館長を下してみせたのだが、本人曰く『それっきり新日をお払い箱になった』。その後、W★INGに参戦した松永はミスターデンジャーとして過酷なデスマッチ路線を歩むこととなり、リング上での青柳館長との接点はここで一旦、切れることとなる。

しかし、運命の糸とはそう簡単には切れないのである。

1994年、引退を表明していた大仁田の首を狙って青柳館長がFMWに電撃参戦。すでにFMWに移籍を果たしていた松永とリングで再会することとなる。

「ものすごく記憶に残っているのが後楽園ホールでの大仁田、松永組vsミスター・ポーゴ、青柳館長組ですね(1994年8月22日)。このカードが発表されたとき、後楽園のお客さんがものすごく盛り上がったんですよ。客席の下のフロアにある控室にまでうおーっ!という歓声が伝わってきた。それは忘れられないですね。

その直後の大阪城ホールでは大仁田さんと館長が電流爆破デスマッチで闘って、私はセミでポーゴさんと一騎打ち。絶対にメインを食ってやろうと心に決めてリングに上がったので、私の試合が週プロの表紙を飾ったのはうれしかったですね」

FMWの旗揚げ戦を再現した試合を観客の評価で凌駕した。ある意味、これがプロレスラーとして実質的な「師匠超え」になる。そこから、また違う道を歩んでいくことになる師弟だったが、3年前、青柳館長から一本の電話が入った。

「死ぬ前にオマエとトークショーをやりたいんだよ、と。それで同僚だった齋藤彰俊を加えた三人で『誠心会館BIG3 最後の揃い踏み』として開催したんですけど、それが館長と直接会った、最後の機会になってしまいました。本当に最後の揃い踏みになってしまいましたね。今となってはやっておいてよかったです」

その後も連絡は取り合っており、つい最近も「今度、お前に店に行くから」と言われたというが、ついにその約束が果たされる日はやってこなかった。

名古屋で営まれた葬儀にも松永は日帰りの強行軍で参列した。

「正直、まだ茫然としています。ものすごいショックなんですけど、いまだに涙が出てこないんですよ。ただ、あんなに饒舌に、快活に語る人を無言のまま送り出して……あぁ、本当にいなくなってしまったんだな、と。館長がいなかったら、私がプロレスのリングに立つこともなかったかもしれないわけで、本当に大きすぎる存在でした。最後の最後に訃報が東京スポーツの一面を大きく飾れたのは、よかったな、と思います。8月7日にFMWにまつわるトークショーに出演するので、そこで館長の話をいろいろしたいですね」

▽『FMWをつくった男たち』(彩図社)
著者・小島和宏
価格 1,600円+税

【あわせて読む】行列ステーキ店経営・元プロレスラー松永光弘が語る「コロナ禍と物価高騰のダブルショック」
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小島 和宏


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