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UPDATE|2019/03/03

「肯定すべきは過去ではなく今」黄金期のモーニング娘。が歌に込めた想い

モーニング娘。と山一證券、モーニング娘。と小泉構造改革、モーニング娘。とミレニアム問題……。ニッポンの失われた20年の裏には常にモーニング娘。の姿があった! アイドルは時代の鏡、その鏡を通して見たニッポンとモーニング娘。の20年を、『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』の著書もある人気ブロガーが丹念に紐解く。『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開。4回目は2000年のお話。



世界中が新たな時代の幕開けに歓喜し、たくさんのミレニアムベビーが元気な産声を上げた、西暦2000年。初冬に石黒彩が抜けて7人での活動となっていた日本のアイドルグループ・モーニング娘。にも、ついに4人の新メンバーが誕生した。

石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依。

歴代オーディションでもトップクラスの応募者数・約2万5千名の中から選ばれた彼女たちは、モーニング娘。が『LOVEマシーン』でミリオンセラー歌手となった後の、一番最初の追加メンバーにあたる。

「ゴッチンのファンでした」(辻)

「モーニング娘。を初めて知ったのが『LOVEマシーン』なんですよ。友達が“この歌、おもしろくない?”って聴かせてくれて」(加護)

「テレビで発表されてからは、凄かったですよ。2次審査で顔と名前が出た瞬間から、家の電話が鳴りまくり」(吉澤)

「初期のモーニング娘。って、曲とかダンスが大人っぽかったけど、『LOVEマシーン』から曲調が変わって、みんなで踊れる楽しいダンスミュージックになったじゃないですか。だからこれなら私も、楽しくできるかなという気持ちだったんです」(石川)

実際、前年の大ヒット曲『LOVEマシーン』は敗北から始まったはずのモーニング娘。のイメージを、大きく変えていた。大人の憂いを帯びたコーラスグループから「賑やかで楽しい」女性アイドルグループへの脱皮。そしてその路線変更はよりテレビコンテンツ向きな4人の原石を見事引き寄せ、プッチモニの結成メンバーとして活躍した市井紗耶香の卒業があってもなお、グループは日本中が求める国民的アイドルのイメージにピタリと一致し続けることになった。いわゆる“黄金期”に突入しようとしている当時のモーニング娘。の心境を、後藤真希はこう振り返っている。

「注目されるということは、やりがいもあるし、やっていて楽しい。前向きになれる」「売れている自覚があると自信にも繋がる」(後藤)

しかしこの2000年当時、テレビから流れるモーニング娘。の自信に満ちた元気な歌声とは対照的に、世間では若者を取り巻く暗いニュースが頻発していた。西鉄バスジャック事件や豊川市主婦殺人事件に代表される“キレる17歳”の報道、そして1993年から続く就職難の中でついに大卒求人倍率が1を切った“超就職氷河期”の到来。

当時の高校生や大学生というのはいずれも義務教育中にバブル崩壊が起こり、平成不況の中で思春期を過ごすことになった第一世代である。その青春時代の眩さは常に、「こんなはずじゃなかった」という社会の無数の苦悶とともにあり続けていた。

一見、剥離していくかのように見えた超人気アイドルグループと同時代の若者たち。しかし意外なところで、両者の精神性は確かに結びついていた。その一例に2000年9月、モーニング娘。がリリースした10枚目のシングル楽曲『I WISH』の歌詞がある。
AUTHOR

乗田 綾子


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