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UPDATE|2023/10/14

宇宙人設定、PR費40億円…令和では考えられない“尖りすぎた”昭和アイドルたち

1977年に公開されたビューティ・ペアの初主演映画『ビューティ・ペア 真赤な青春』DVDジャケット(東映)

昭和後半といえば、松田聖子や中森明菜など、トップクラスのスターが続々とデビューしたアイドル黄金時代。そこはまさに群雄割拠の世界であり、独特のコンセプトを突き詰める者も少なくなかった。今振り返ると、「尖りすぎていたアイドル」のエピソードに事欠かないほどだ。

【写真】デビューに40億円かけた伝説のアイドルグループ

たとえば今どき歌って踊れるアイドルは星の数ほど存在するものの、歌って“戦える”コンビは、彼女たちをおいて他にはいないかもしれない。それは今から40年以上も前、女子プロレス界に水星の如く現れたタッグチーム、ジャッキー佐藤氏とマキ上田からなる「ビューティ・ペア」だ。

あくまで女子プロレス界のアイドル的存在という立ち位置ではあるが、彼女たちの人気はまさに正統派アイドルさながらだった。1976年に結成するや否や、世界タッグ王座を獲得。同年に『かけめぐる青春』でレコードデビューを果たし、試合前のリング上で歌う斬新なスタイルが人気を博した。

なお同楽曲のCD売り上げは、プロレスラーとしては異例となる80万枚を記録。これは1975年11月にリリースされたイルカのヒット曲『なごり雪』に匹敵するほどの売り上げである。

女子プロレスというと、どちらかといえば男性客に支持されているイメージもあるが、ビューティ・ペアの活躍ぶりは女子高生を中心に爆発的な人気を呼んだ。当時は彼女たちに憧れるティーンが会場に詰め寄り、試合前に「かけめぐる青春」が流れると「踏まれても(ジャッキー!)」「汚れても(マキー!)」と熱烈なコールまで起きたという。

実際、YouTube上に公開されているライブ映像などを見てみると、当時の熱気がどれほど凄まじいものだったのか分かるだろう。終始会場には黄色い声援が飛び交っており、宝塚歌劇団のスターに近い存在のようにも見えてくる。

1977年には初主演映画となる『ビューティ・ペア 真赤な青春』が公開され、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いを見せていたが、残念ながらその活動はわずか3年で終わりを迎える。引退になったきっかけは、ジャッキー氏の恋愛関係だったそうで、1979年に日本武道館で行われた2人の直接対決を最後に、ビューティ・ペアは解散した。


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