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UPDATE|2023/12/22

M-1グランプリが産声を上げた瞬間、島田紳助「若手の漫才コンテストをやったらどうや?」

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谷良一著書『M-1はじめました。』(東洋経済新報社)

2001年にスタートした「M-1グランプリ」は、若手漫才師の登竜門となり、数多くの人気芸人を輩出。お笑いファンのみならず、世代を超えて高い注目を集め、今や年末の風物詩となっている。M-1グランプリを立ち上げたのは元吉本興業ホールディングス取締役の谷良一氏。著書『M-1はじめました。』(東洋経済新報社)も好評の谷氏に、改めてM-1グランプリ誕生までの軌跡を振り返ってもらった(前後編の後編)。

【前編はこちら】M-1グランプリを立ち上げたのは1人の吉本社員、漫才ブーム低迷期にキラリと光った中川家

【関連写真】40代後半でブレイクしたくすぶり中年・錦鯉

漫才師との面談や、劇場で奮闘する若手漫才師の姿を目の当たりにして、手ごたえを感じた谷氏は漫才イベントを定期的に行い、そこで結果を残した漫才師をテレビに売り込んだ。順調に漫才プロジェクトは進行していたが、かつての漫才ブームのような盛り上がりとは程遠かった。そんなときに、何気なく東京時代にチーフマネージャーを務めていた島田紳助の楽屋に訪れたことで状況は一変する。

「チーフマネージャーをやっていた頃は、たまにテレビ番組の現場に行って話したり、番組企画の相談をしたりしていたんですが、大阪に戻ってからは、テレビ番組を作る部署になったので、ほとんど会っていませんでした。ある日、同じく過去にチーフマネージャーをやっていた間寛平さんに会いに、よみうりテレビに行ったんです。一時間ほど話した後、楽屋を出ると隣が紳助さんの楽屋でした。

それで挨拶がてら漫才プロジェクトのことを伝えに行ったら、第一声が『それはいいことや!』だったんです。テレビの司会者として活躍しているから、漫才のことは忘れているかと思っていたので、まさかそんな言葉が出るとは思っていなかった」

大学時代、生で島田紳助・松本竜介の漫才を受けて、とてつもない衝撃を受けた。

「紳助さんがバーッと喋って、竜介さんがたまにツッコんで、そのテンポ感で漫才を作っていくというスタイルは斬新でした。その当時は横山やすし・西川きよしから続く正統派漫才があって、その系譜にオール阪神・巨人がいて、ちょっと遅れて太平サブロー・シローが出てきた。相方と息と間を合わせて、長いこと稽古して、練り上げていくみたいな正統派漫才を作り上げるには年数がかかる。紳助さんは、そこまで待ってられないから変則技でやるしかなかったと思うんです。

そんな紳助さんが『自分を作ってくれたのは漫才だから、お返しをしたいと思っているけど、まだできてない。それが負い目になっている』と言うんです。そんな思いを始めて知ったので驚きました。それで30分ほど熱心に漫才について語り合ったんですが、そのときに紳助さんが『若手の漫才コンテストをやったらどうや?』と言ったんです」

その一言が、新たな構想へと発展していく。

AUTHOR

猪口 貴裕


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