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UPDATE|2023/12/22

M-1グランプリが産声を上げた瞬間、島田紳助「若手の漫才コンテストをやったらどうや?」

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谷良一著書『M-1はじめました。』(東洋経済新報社)



たった一人で始まった漫才プロジェクトは、様々な人たちとの出会いでM-1へと結実し、新たな漫才ブームを巻き起こした。吉本興業の社内的にも、低迷していた漫才を見直すきっかけとなった。

「第1回M-1を開催した翌年、NSCの入学者が飛躍的に増えたそうです。しかも95%以上が漫才をやりたいという子だと当時の校長が言ってました。それまで漫才をやりたいって入ってくる子は少数派だったらしいんですよね。劇場にも客が入るようになって、漫才を流すテレビ番組も増えて、若手だけじゃなくベテランも刺激を受けて、やる気も出たんじゃないでしょうか。

ただM-1がこんなに長く続くとは思っていなかったです。80年代初頭の漫才ブームも2、3年で終わってしまいましたから、たとえ漫才ブームが起こせたとしても5年ぐらい。それでM-1も終わるだろうと思っていました」

M-1きっかけで到来した漫才ブームは一過性で終わらず、M-1にエントリーする漫才師も右肩上がりで増え続けている。

「M-1によって、ある程度は芸人、漫才師が評価されて、地位が上がったと思います。80年代の漫才ブームのときも上がったんですけど、それでも扱いは低かった。M-1以降、バラエティー以外のテレビ番組にもお笑いタレントが出るようになって、お笑いタレントなしでは作れないと言っても過言ではない。社会的にも面白い、笑いが分かるということが、若い子のモテる条件になりましたし、もっともっと芸人の地位が上がってほしいですね」

谷氏は第10回大会でM-1のプロデューサーを退いた後も、若手の漫才を追い続け、自身のブログでM-1の感想も綴っている。

「ずっとM-1は見とかなあかんっていうのはあります。正直、『このコンビが残るの?』って思うこともあります。でも絶対に否定はしません。否定をしたらM-1の精神じゃない。新しい才能、新しい漫才を紹介するのがM-1ですし、若い感性は若い人が見つけるわけですから」
AUTHOR

猪口 貴裕


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