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UPDATE|2023/12/22

M-1グランプリが産声を上げた瞬間、島田紳助「若手の漫才コンテストをやったらどうや?」

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谷良一著書『M-1はじめました。』(東洋経済新報社)



「3日後、今度は朝日放送に紳助さんを訪ねたら、『優勝賞金1000万円で賞金が出るのは優勝者のみ、いつまでも芽の出ない若手芸人に引導を渡す大会であること』など、漫才コンテストの構想を一気に話されました。そのときに僕が『漫才の大会だからM-1ですね』と提案しました」

M-1グランプリが産声を上げた瞬間だった。

谷氏が吉本興業に入社したのは1981年。漫才が好きで、漫才を作りたいというのが志望理由で、横山やすし・西川きよしや笑福亭仁鶴などのマネージャーからスタートした。

「当時の吉本は大きく分けると吉本新喜劇と漫才。たまに落語をやりたいというのもいましたけど、マネージャーをやりたいという理由で入ってくる人はあまりいなかった。僕らが入社した頃の吉本興業が毎年採用していた新入社員は2,3人。僕らの年度は5人だったので多いほうです。

総務や経理は別で採用していたんですが、5人とも制作部の採用でした。当時の制作部は全員、最初にマネージャーをするんです。もちろん劇場も担当するし、テレビ局も担当するし、営業にも行くという時代やったんですけど、僕らの6、7年後ぐらいになると、採用も10人、20人と増えだして、だんだん部署も細分化されていきます」

マネージャ―経験は、後の仕事にも大いに活かされた。

「マネージャーって全部の要素が入っているんです。まずタレントと一緒になって動くわけですから、親しくなれるっていうのがあります。それまで普通の大学生で、社会人になって初めて濃密に付き合うのが芸人さん。個人事業者ですから、根本的にサラリーマンと違います。芸人ってこんな人種なんだ、こういう考え方をしてるんだ、こういうふうに漫才を作るんや、こういうところに目をつけて、こんなふうに喋るんだ、こういう風に人と付き合うんだとか、たくさんの発見がありました。

そのほかにもタレントを売り込むために、営業もするし、舞台も作っていくし、ほんまにいろんなことを学びました」

マネージャーとして密接に関わってきたからこそ、芸人の気持ちも痛いほどよく分かる。芸人の地位を向上させたいという強い思いによって、M-1グランプリ開催までに立ちはだかる数々の壁も乗り越えていった。紆余曲折を経て12月25日に生放送された第1回M-1グランプリは驚異的な視聴率を叩き出す。

「関西の視聴率が21・6%だからビックリしました。やっぱり関西人は漫才が好きなんですよね。関東は9・0%と振るわなかったんですが、当時のテレビ朝日は『振り向けばテレビ東京』と言われるぐらいステーションパワーが低かったんです。あの枠の前4週平均が7%台だったので、2%上げてるわけですから、なかなかの結果でした」

AUTHOR

猪口 貴裕


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