乃木坂46の公式ライバルとして誕生したグループ「僕が見たかった青空」。1月31日に2ndシングル『卒業まで』をリリースする彼女たち23人の魅力に迫るべく、全員のインタビューと撮り下ろしカットをお届けする。今回は沖縄県出身の20歳、「ゆうほ」こと青木宙帆(あおき・ゆほ)のインタビュー。
【写真】「特技はサッカーとフットサル」青木宙帆の撮り下ろしカット【7点】――福岡県のテレビ局に二次オーディションから密着されていたんですよね。青木 そうです。私たち九州オーディション組は密着していただいていました。私もオンエアを見たんですけど、歌詞を間違えて歌っているのが流れちゃって(笑)。恥ずかしかったです。間違えたから落ちたと思いました。それだけじゃなく、九州組というか、地方組はかわいい子が多かったんです。最終審査では地方組が最後の方の審査だったんですけど、私は受からないだろうなと思っちゃいました。
――特技アピールでは、ビーチボールを膨らませて、リフティングしていましたね。青木 審査を待っている時に息で膨らませて(笑)。サッカーボールだと、リフティングを失敗した時に器物破損しちゃいそうなのでビーチボールにしました。持ち運びも便利なので。
――最終審査で「37番 青木宙帆さん」と呼ばれて、どう思いましたか?青木 受からないだろうと思っていたので、どうしようって焦りました。受かりたいとは思っていたけど、合格したという現実に直面して、初めて「学校はどうしよう」とか「上京しなきゃ」とか考え始めて。アイドルが好きで申し込んだものの、自分にアイドルができるのだろうか、とか。記念受験みたいな気持ちだったんです。アイドルになる子を近くで見てみたいなっていう(笑)。
――テレビでも放送されていましたけど、沖縄から大学のために福岡へ引っ越したわけですよね。大学進学の時点では将来のことを考えていましたか?青木 普通に会社員になろうと思っていました。東京でOLになりたくて。それが私の憧れでした。沖縄にいつか戻るにしても、一度は東京に出てみたいっていう、“田舎者あるある”です。
――親御さんは何て言ってましたか?青木 申し込みの時点で成人していたので、親の了解は必要なかったんです。だから、最終審査に通過しましたという通知があって、初めて親に言いました。「せっかくのチャンスだから、やった方がいい」と背中を押してくれましたけど、いきなりの話だから戸惑っていたと思います。
――オーディションは何度目でした?青木 初めてではなかったですけど、ここまで進んだのは初めてです。友達とノリで受けたことはありました。今のオーディションは書類じゃなくてWEBで送れるので、簡単なんです。でも、申し込んで数か月後に東京で暮らすことになるとは思ってもみなかったです。
――最近、沖縄にキャンペーンで帰りましたよね。青木 久々でした。行ったのは本島で、石垣ではなかったので、知り合いに会うことはできませんでした。ただ、私はサッカーをやっていて、本島まで行って、試合することが多くて。小学校時代の私と対戦したことがある子の親御さんがラジオ局で働いていて、ビックリしました(笑)。そのラジオでは、「僕が見たかった青空の青木宙帆です」をめっちゃ噛んじゃって(笑)。自己紹介すら噛むくらい生放送って緊張しました。