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UPDATE|2024/04/04

『不適切にもほどがある!』最終回の注釈テロップに込められた強烈なメッセージ

『不適切にもほどがある!』公式HPより



昭和ガハハおじさんの代表例みたいだった市郎は、今回の体験を通して価値観に変化が生じる。ケツバットは当たり前だった“地獄の小川”は、“仏の小川”となったのだ。無礼講や飲みニケーションはもってのほか、女装が趣味だった校長をよってたかって攻撃する回りの神経も信じられない。令和に戻ったサカエもサカエで、杓子定規な令和的価値観に嫌気がさしている。

思い返してみれば、ウディ・アレンが脚本と監督を務めた映画『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)は「現代を生きる人間にとって、過去はいつもまぶしい時代に感じる」という映画だった。2010年のパリを彷徨う脚本家は過去を追い求め、1920年代にタイムスリップし、さらに1890年代へと遡る。

だが『不適切にもほどがある!』は、現代と過去を相対化することで、一方的にどちらかを称揚しようとはしない。どの時代だっていいトコロはあるし、悪いトコロはある。そしてお馴染みのミュージカル・パートになると、「寛容になりましょう」、「大目に見ましょう」と歌う。その安易な結論に違和感を持つ視聴者も少なくないかもしれない。だがこれが、宮藤官九郎の偽らざる本音なのだろう。ある意味でこれまでの9話は、この想いを実直に語るまでの助走だったのかもしれない。

「1986年当時の表現をあえて使用して放送します」の注釈テロップで始まったこのドラマは、「2024年当時の表現をあえて使用して放送しました」というテロップでエンディングを迎える。価値観はいつだって流動的なものだという、強烈なメッセージ。2024年と1986年の38年というギャップを描いたこのドラマは、今から38年後の2062年には、どのような受け止められ方をするのだろうか。クドカンはそんな時代の射程を念頭に入れて、『不適切にもほどがある!』を書き上げたのだろう。かえすがえすも、物凄いドラマだ。

【あわせて読む】#ネオ昭和 インフルエンサー・阪田マリンが語る、昭和の魅力「便利すぎない“不完全の中の美しさ”」
AUTHOR

竹島 ルイ


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