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UPDATE|2022/08/04

“お茶の間”が育ててきた「未熟なスター」…気鋭の社会学者が語る日韓エンターテイメントの分岐点

周東美材『「未熟さ」の系譜―宝塚からジャニーズまで―』(新潮選書)


戦後、進駐軍とその周辺からジャズ等アメリカの音楽文化が日本に流入してくるが、進駐軍クラブのミュージシャンだったナベプロ創業者の渡邊晋、在日アメリカ大使館職員だったジャニー喜多川のように、アメリカ軍の周辺にいた人物たちがその橋渡し役を担う。しかし、それらが大衆的な人気を得るには「テレビ」の存在が不可欠だったと本書は歴史をひもとく。

「大衆的なエンタメとして売れるには一部の音楽ファンや熱狂的なだけではなく、女性や子どもも含めて幅広く大衆に受ける必要があります。メインのターゲットとして想定されていたのが、サラリーマンの夫と妻、子どもがいるという典型的なマイホーム家族です。そういった家族の一家団欒の場として定着したのが“お茶の間”とテレビでした」

1960年代の高度経済成長のシンボルとして急速に普及したテレビ。お茶の間に据えられ、一家団欒の象徴になったこのテレビが、豊かさを享受する戦後日本のエンタメのあり方を決定づけるアイテムになっていく。周東氏はテレビの影響をこう論じる。

「ジャズのような外来の音楽が日本に持ち込まれた場は、例えば米軍基地のように猥雑な雰囲気がただよう空間でもありました。それをナベプロ・ジャニーズ・ホリプロなどの業界人やテレビマンたちは、お茶の間でテレビを見ている大衆、具体的にはファミリー層が受け入れられる娯楽に作り替えて発信していきます。そこには子どもを育てる家庭でも楽しめる健全なもの、という視点があります。快活なアイドル像を売りにするジャニーズもその一例ではないでしょうか。ジャニーズは少女だけでなく、その家族にも受け入れられることを目指してきました。また、公式ファンクラブを運営している組織は『ファミリークラブ』と呼ばれてもいます」

1966年のビートルズ来日が起爆剤になり、ロック音楽もまた流行に火が点いた。流行初期には「不良の音楽」と眉をひそめられたロックも、日本では「グループ・サウンズ」とかたちを変えて受容されていった。彼らは本人の意志とは無関係にアイドルとしてプロデュースされ、その中心にはザ・スパイダースやザ・タイガースがいた。彼らは、テレビ出演を経て爆発的な人気を獲得し、さらには堺正章や岸部シローのようにお茶の間の人気者としてバラエティタレントへと定着していていったが、その過程を本書はタイガースのメンバー・瞳みのる氏へのインタビューを踏まえて丁寧に論じている。

一方、韓国は1980年代まで独裁政権の時代が続いていた。韓国のエンタメとの違いを周東氏はこう論じる。

「日本は高度経済成長で、テレビを娯楽の王様とするマスコミ型エンタメ産業の構図が成立し、今もその枠組みは強固です。しかし独裁政権が続いて、日本ほどエンタメ産業が成長していなかった韓国は、むしろ1990年代以降の新しいネット環境に対応していく俊敏さがあり、SM、YG、JYPのような新興プロダクションが躍進していく脚力がありました。60~70年代の時点で市場がある程度成熟し、既存の巨大な仕組みと『成功体験』を持っていた日本は韓国ほど急激な転換はできなかったと考えられます」

韓国でも公開オーディションでアーティストの卵が選ばれていくように未熟なタレントを育てる文化はあるものの、未熟な存在そのものが好まれるのか否かの違いが日韓にはあると話す周東氏。

「韓国においてもファンが成長過程を見守る文化はありますが、いつまでも愛嬌だけではだめで、トップアーティストとしてブレイクするには一定以上のスキルは身につけなければならないというシビアさがあります。K-POP草創期には日本のエンタメを参考にしながらも、同時にアメリカのブラックミュージックにも学んできたので、そこに日本との違いがあります」


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