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UPDATE|2023/04/06

【証言 AKB48とキングレコードの15年】「最初のプレゼンで話したアイドルシーンを変える一手」

2008年10月22日に発売されたキングレコード移籍第一弾シングル『大声ダイヤモンド』。左が通常盤、右が劇場盤ジャケット。


 氏はAKB48に関する文献を読み漁り、正規メンバーはもとより、全研究生の名前まで暗記した。さらに、後にアイドルシーンを変える一手をアピールした。

湯浅 プレゼンする場には、僕と紺田さんの2人で出席しました。僕たちはまず熱意を知っていただこうと思い、「めちゃめちゃ勉強しています!」と伝えました。そして、CDを発売する際に全国握手会と個別握手会に分けるやり方をご提案したんです。

 3年前に始まったコロナ禍によって形式が変わってしまったが、それまでのAKB48が採っていたスタイルは、全国握手会と個別握手会の二枚看板だった。全国握手会は文字通り、全国各地に出向き、複数のメンバーと握手ができるもの。個別握手会は、ファンがメンバー1人を指名して、握手するものだ。

湯浅 僕がご提案したのは、通常盤として全国握手会、劇場盤として個別握手会を開催するというものでした。通常盤というのはCDショップで売られているもので、劇場盤はAKB48劇場で手売り販売するものです。

 そのような手法を採っているグループは存在しなかった。彼がその手をひらめいたのは、自身がアイドルヲタクだったからだ。

湯浅 僕はハロー!プロジェクトのファンでした。ハロプロではグループ全員と握手できたけど、“推し”と長く話すことができません。だったら、“推し”と長く話せるような握手会にすればいいじゃないか。これが個別握手会を考えたきっかけでした。

 もうひとつ、僕が重きを置いていたのは、全国のショッピングモールに行くことでした。各地のイオンなどに出向き、かわいい衣装を着たメンバーたちが歌う姿を見せる。それを観て、興味を持っていた子供たちが憧れてくれる。そして、ファンになってくれて、いつかメンバーになりたいと思ってくれる。そうすれば、AKB48は10年、20年続くグループになるんじゃないかと考えました。この発想が全国握手会を生みました。実際、全国握手会を観てからAKB48のメンバーになった子は何人もいます。

 氏がプレゼンした際、「オリコン3位以内を獲ります。そして、将来的には紅白歌合戦に自力で出場できるグループにしたいです」とも宣言している。

湯浅 当時、朝の情報番組で放送されるのは、だいたいオリコン3位以内なんです。AKB48は6位が最高順位でした。僕はヲタクでもあるけれど、自分だけで楽しむのではなく、「グループの魅力を広めたい」と思うタイプなので、皆さんに知っていただけるようなグループになってほしかったんです。

 それに、AKB48は2007年に“アキバ枠”として3組まとめて1枠の扱いで紅白に初出場しましたが、単独でも出場できるように、一緒に成長していこうと考えていました。

 湯浅氏・紺田氏の熱のこもったプレゼンは運営スタッフを通じて、総合プロデューサー・秋元康氏の耳に入る。すると、「キングレコードは愛があるね」と言ってもらえ、1作ながらも契約を勝ち取ることに成功した。ヲタクの勝利である。

湯浅 嬉しかったですね。ただ、途中経過を上司に報告していなかったので、完全に事後報告でした(笑)。

 秋元先生は僕らのことを、『若い人たちが熱く語ってくれているな』と温かく見守ってくださったようです。結果、1枚でしたが、シングルを発売させていただけることになり、オリコン初週ウィークリーで3位を獲得できました。次のシングル『10年桜』は自然とキングからリリースする流れになり、『RIVER』からアーティストとして所属することになりました。

 2008年10月22日、キングレコードは『大声ダイヤモンド』を発売した。AKB48はキングという援軍も得たことで快進撃を始めた。

【あわせて読む】証言 AKB48とキングレコードの15年「オリコンウィークリー1位と紅白歌合戦を目指します」
AUTHOR

犬飼 華


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