AKB48が『フライングゲット』で日本レコード大賞を受賞した2011年。その年の3月11日に東日本大震災が起きた。その揺れは甚大な被害を引き起こし、各地にとてつもない爪跡をもたらした。【#1 #2は下の関連記事からご覧ください】
【関連写真】圧巻のスタイル、元AKB48達家真姫宝の全身ほか撮りおろしカット 悲嘆にくれる人々のためにエンタータインメントができることはないか? 様々なアーティストが被災地を訪問し、笑顔が失われた土地に一時の安らぎをもたらした。とりわけAKB48は熱心にその活動に取り組んできた。
この2月までAKB48のチーフA&Rプロデューサーを務めてきた湯浅順司氏は、被災地に60回ほど足を運んでいるという。そこで感じたものは何だったのか。
AKB48は東日本大震災の復興支援活動に最も理解のあるグループである。そう書いても異論はないだろう。義援金もさることながら、計71回の被災地訪問を行っている。湯浅氏もスケジュールが合う限り、メンバーに帯同してきた。
湯浅 僕がAKB48を担当して一番よかったと感じていることは、被災地訪問です。レコード大賞でも、オリコン1位でもなく、被災地訪問です。そこには他の何かに替えられないものがありました。
初めて行ったのは、その年の5月でした。本当に行っていいものか、悩みました。でも、結果的には行ってよかったと思っています。
とある町では、こんなことがありました。イベントでは、まずメンバーが何曲か歌うんですけど、子供たちを前の列にしてあげるんですね。その日は十数人の子供たちが楽しそうに踊りながら観ていました。握手会が終わると、みんな嬉しそうな表情を浮かべて帰って行きましたが、町の青年会議所の方が僕のところに飛んできておっしゃるんです、「あの子たちのほとんどが親を亡くしているんです。さっきみたいな笑顔は震災後、一度も見ていません」って。これなんです。これがエンタメの力なんです。僕はそう痛感しました。
氏は今でも後悔している。2020年のコロナ禍以後、被災地訪問ができなくなったことを。
湯浅 偽善だなんて揶揄されることもありますけど、もしそうだとしたら60回も行けません。すべて持ち出しですし。今度はAKB48の担当としてではなく、個人としても訪れてみたいと思っています。