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UPDATE|2023/04/06

【証言 AKB48とキングレコードの15年】「最初のプレゼンで話したアイドルシーンを変える一手」

2008年10月22日に発売されたキングレコード移籍第一弾シングル『大声ダイヤモンド』。左が通常盤、右が劇場盤ジャケット。

今年2月、アイドルグループ「AKB48」がユニバーサルミュージックへレコード会社を移籍すると発表した。それまでの15年間、AKB48はキングレコードとともに成長してきた。そのキングレコードでA&Rチーフプロデューサーを務めていたのが湯浅順司氏だ。氏の存在がなければ、日本のアイドルシーンは確実に変わっていた。氏がAKB48と二人三脚の15年間を3回連載で振り返る。(1/3)

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 AKB48が結成され、デビューしたのは2005年12月のことだった。インディーズで2枚のシングルをリリースした後、ソニー・ミュージックエンタテインメント内のレーベル「デフスターレコーズ」から8枚のシングルを発売する。しかし、AKB48と時代はなかなかマッチしなかった。

 2008年2月に発売された『桜の花びらたち2008』を最後に両者は契約を解消し、AKB48は“フリー”の状態になる。その時、ある人物がAKB48に接近していた。それが湯浅氏である。

湯浅 当時の僕はキングレコード(以下、キング)に入社して4年目の平社員でした。アニメの営業、アニメのディレクターを経て、J-POPの部署に異動してきたので、せっかくだから自分の好きなことをやろうと考えていました。K-POPかビジュアル系バンドかアイドルかの三択でしたが、アイドルだけは当時のキングが手掛けていませんでした。じゃあ、アイドルだなと思い立ち、先輩の紺田大輔さんと共に動き始めました。(その後、紺田氏は主に握手会イベントを担当。2018年夏に逝去)

 その1年前、湯浅氏はAKB48劇場を訪れている。

湯浅 2007年のある日、僕は会社の先輩に連れられて、劇場に行きました。その日はひまわり組公演(チームAとチームKの混合公演)で、大島麻衣さんが足を怪我してしまって、泣きながら挨拶だけした日でした。それでもたかみな(高橋みなみ)やこじはる(小嶋陽菜)たちが出ていて、今思うとすごいメンバーだったんです。それに、曲も歌詞もすごくいい。その後も何度か劇場には足を運んでいました。AKB48さんとお仕事をしたいと考えるようになりましたが、他レーベルに所属していました。

 では、声優としてお仕事をしてもらおうとか、いろいろと画策していました。でも、そうこうするうちに新しいレーベルを探しているというニュースを耳にして、しばらく経ってから、当時のAKB48運営会社さんからご連絡をいただいたんです。

 湯浅氏にとっては渡りに船だった。とはいえ、キングだけが候補ではなかった。その時点ですでに数社が候補に挙がっていた。

湯浅 当時の僕は平社員ですから、他社さんと戦っても勝ち目はないかもしれないと思いました。想いをプレゼンする機会をいただいたので、その場が勝負だなと思いました。
AUTHOR

犬飼 華


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