スズ子はここでようやく、血のつながりと心のつながりには優劣がなく、その時に自分が「大切にしたい」と思うことができれば、それが家族なのだと、実感したはずだ。
この人と自分は”血”でつながっているのだと、ただ事実を事実として受け入れる。決して母親面をせず「スズ子さん」と自分を呼ぶキヌを、スズ子はやっと母にしてあげることができた。
大切な我が子と離れる苦しみ、苦しいと言いながらも離れるという選択をした後ろめたさ…そんな感情を経験したから今だからこそ、スズ子はキヌのことを母として認め、自分はキヌの子なのだと認められたのだろう。
それはただ時間が解決してくれたのではなく、スズ子がこれまでの人生で、血のつながりに関わらず自分を家族と認めてくれる人に出会えたからだ。誰かの子であり、妻であり、親になることが、どれほど喜ばしく尊いことなのか。家族と毎日顔を合わせられることが、どれだけ幸せであることか。スズ子は自分の身をもって痛いほど感じてきた。
これまで物語を通して描かれてきた”血のつながらない家族との心のつながり”は、”血はつながっているが心をつなげられなかった家族”であるキヌへと続く大きな伏線だったのかもしれない。スズ子はやっとキヌという終着点にたどり着き、心をつなげられたのだ。
菊三郎、ツヤ、六郎、愛助、トミ、梅吉を亡くしたスズ子だが、まだ確かな家族の輪がもう一つある。近くにいても遠くにいても、その事実は変わらない。スズ子がそのことに気づき、キヌに歩み寄ったあの瞬間は、今後も語り継がれる”母娘”の名シーンになったことだろう。
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