FOLLOW US

UPDATE|2022/08/20

1本のデモテープが松田聖子を生んだ、デビュー前から支えてきたプロデューサーが語る聖子との奮闘記

松田聖子1stアルバム『SQUALL』(手前右)


松本隆・財津和夫・松任谷由美・細野晴臣・大滝詠一…綺羅星のごとき作家たちと曲を作ってきたが、特に相性がよかったと若松氏が考えるのは…。

「作詞家なら松本隆さん、作曲家ならユーミン・財津さん・細野さんかな。例えば細野さんは、本来の彼が得意とするサウンドと聖子の淡いピュアなイメージは合わないと思うんだけど、いざレコーディングをすると、彼女は歌をすごくフィットさせてくるんです。どんなサウンドとも融合して、オリジナルの聖子ワールドを作り上げてしまう。そんな特異な才能があったと思います。あと、アレンジャーの大村雅朗さん(1997年没)と出会えたのも大きかったです。どの作家さんも、聖子が売れたからといって忖度して合わせようとしない。それに応えて『今度の曲歌いにくいです』なんて不平を一切言わなかった聖子も見事でした」

若松氏は聖子の1stアルバム『SQUALL』(1980年)から15thアルバム『Citron』(1988年)まで携わった。特に出色の出来だと思うのは、第1作の『SQUALL』、5th『Pineapple』
、7th『ユートピア』(1983年)になるという。

「聖子の自然な感じがこの3作に特に凝縮されていると思います。文字通りデビューしたての『裸足』の感じですね。『ユートピア』収録の『赤い靴のバレリーナ』『マイアミ午前5時』なんか本当に名曲なんだ。それとニューヨークで全曲英語の新曲をレコーディングしたアルバム『SOUND OF MY HEART』(1985年)。発音を何度もダメだしされるなど苦労も多かったけど、このアルバムで聖子のアーティストとしての才にいっそう磨きがかかったと思うんですね」

『松田聖子の誕生』ではこのように、若松氏が携わった全15作のアルバムの制作秘話が詳細に語られ、松田聖子を通じて80年代の音楽界のクロニクルとして読むこともできる。

1本のデモテープをきっかけに、公私にわたる激動の42年を芸能界で駆け抜けてきた松田聖子。若松氏が彼女をプロデュースしていた期間は10年弱であったが、44年前に感じ、今も変わっていない聖子の魅力とは何だろうか。

「人を惹きつける力。そして歌の世界を自分のものにしてしまう力ですよ。その根底にあるのは、僕が44年前にも感じた歌に対する真摯さ、多くの人に歌を届けたいという思いですよね。その気持ちが実って沢山のヒット曲に恵まれ、ここまで来られたんだと思います」

RECOMMENDED おすすめの記事