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UPDATE|2022/08/20

令和のバズ女王・高嶺ヒナの壮絶なリアル「厳格な母との衝突が表現欲に繋がった」

高嶺ヒナ 撮影/田中健児

強烈なキャラクターと独特な世界観でSNSを中心に人気を集める"令和のバズ女王"高嶺ヒナ。二次元の存在のように思える彼女だが、1stフォトブック『Lalka 〜偶像少女〜』(扶桑社)を発売するほか、2021年にはNHKにTV出演も果たす。一体彼女は何者なのか、その生い立ちを聞いた。
(前中後編の前編)

【写真】圧倒的ビジュアルで人気を集める高嶺ヒナ 撮り下ろし写真【5点】

──高嶺さんはファッション誌やアパレルブランドのモデルを務める一方で、自身のブランド「HIDOLATRAL THEODOL」を始め、複数のアパレルブランドの衣装デザイナーとしても活躍しています。いつ頃からファッションに興味を持ったのでしょうか。

高嶺 小学生の頃から服が好きで、親から与えられた服の中で、いかに自分の好きなファッションに近づけるかを考えていました。小物なんかは自分で作っていましたし、不自由の中での最大限の自由みたいなものを常に探し求めている子どもでしたね。

──服好きは誰かの影響があったんですか?

高嶺 自分でも何に影響されたのか分からないんですよ。お母さんはどちらかいうと綺麗めの服を好んでいて、娘にも清楚系の服を着てほしいというタイプ。私は小さい頃からお人形さんに憧れがあって、ちょっと奇抜なゴスロリ系の服を好んでいたので、お母さんの趣味とは正反対でした。私がフリルの付いたブラウスやフリフリのスカートを穿いていると、いい顔をしなかったですからね。中学生になると行動範囲が広がって、こっそり古着屋に行ってたんですけど、お母さんにバレたときは、めっちゃ怒られました。

──厳格な家庭だったんですね。

高嶺 高校生になるまで携帯すら持たせてもらえなかったし、家にあるパソコンもパスコードロックされて自由に見ることができませんでした。だから古着屋に行く時も、ニンテンドーDSiのWebブラウザで道を調べました(笑)。高校生になって携帯を持たせてもらえましたが、普段は没収されていたので、学校から帰る時は毎日、「学校の公衆電話からテレフォンカードで電話しなさい」と言われていました。

AUTHOR

猪口 貴裕


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