音楽やYouTubeなど、いろんな手段がある中でエッセイを選んだのは、もともと書くことが好きだったからというわけではないです。最速でお金になる方法を考えると、記事が収益化できるnoteが一番手っ取り早かったんですよね(笑)」
noteへ投稿したエッセイがきっかけとなり、ダ・ヴィンチWebの連載がスタート。メディアでの書き仕事は、願ってもないオファーだったと振り返る。
「それこそカズさんが言っていたように、自分で始めたことが本当に仕事になったので、めっちゃ嬉しかったです。こんなこと言うのも悪いんですけど、ダ・ヴィンチで連載をするより、noteに記事を更新していたほうが、目先の金が入ってくることは確かなんですよ。でも僕は承認欲求の化け物なんで、評価していただけたことがただただ有り難くて。『書いててよかったなあ』と、素直に思いました」
ダ・ヴィンチWebの連載が開始してからはnoteでの執筆と違い、編集者のサポートを受ける機会も多く、大いに助けられたのだそう。一方で、自らは決して選ぶことのないテーマを提案され、二の足を踏むこともあった。
「『これは書けないよ……』っていうテーマを投げられることもあるんですよ(笑)。例えば、年末になると『M-1』について書いてほしいと言っていただくんですけど、これがやっぱりどうしても恥ずかしいです。もしも自分たちが優勝してたら、全ての文字を最大サイズで書きたいくらいなんですけど、結局毎年『悔しかった』って書かないといけないので。それが大変だったところですね」
書き手自身の実体験が題材となるエッセイだからこそ、なかなか筆が進まないこともあった。なかでも特に戸惑ったのは、相方・畠中悠を書き下ろしのテーマとしてオーダーされた時だったという。
「『相方さんについて書いてください』と言われて、何度も断りました。結局、最終的には書いたんですけど。畠中について書くのが嫌だった理由は、確実に明日も顔を合わせなきゃいけないからなんですよ。相方って人間関係において本当に特殊だし、僕の人生においても異質な存在なんだと思います。一番近いのは夫婦なのかもしれないですけど、でも厳密には全然違う感覚です。なのである意味、この本を一番読んでほしくない人間は畠中ですね(笑)」