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UPDATE|2023/12/22

M-1を立ち上げたのは1人の吉本社員だった、「低迷期に聞いた漫才師たちの本音に驚いた」

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谷良一著書『M-1はじめました。』(東洋経済新報社)



漫才プロジェクトを進めるにあたり、若手から中堅、ベテランまで数十組の漫才師に面談を行い、漫才が置かれている現状をどう思っているのかヒアリングした。

「正直、ベテランは昔からのネタを同じようにやっているだけなので、創意工夫をしていないと感じていたんですが、話を聞いてみると、『ちゃんと、そういう場を与えてくれてないからや。だから、もっと仕事をくれ』という意見が多かったんです。劇場に出て、月に何本か営業があって、年に何回かテレビに出れば食べていけるので、不満はないのかと思っていたら、そうではなかった。『漫才が好きやから、漫才をやりたいんや』『漫才が好きやから、漫才師になったんや』と言うので、驚きでしたし、うれしかったですね。

若手は若手で、漫才なんて売れるための足がかりで、テレビでレギュラー番組を持って、ゆくゆくは自分の名前がついた冠番組をやるのが夢かと思っていたんです。大阪で売れた人間は、東京へ進出するみたいなところがありましたからね。ところがベテランと同じように、若手も『漫才が好きで、漫才をやりたい』という意見が多かったんです」

しかし、NSC(吉本総合芸能学院)に入学する生徒たちの志望動機を見ると、テレビタレントを目指す者が大多数を占めていた。漫才をやりたいという生徒は少数派だった。

「第1回M-1で決勝には、麒麟、フットボールアワー、キングコング、チュートリアルと芸歴2,3年の若手コンビが4組も残った。漫才が低迷している中でも、きっちり漫才をやっていた子たちはいたわけです。漫才プロジェクトを進めていく中で、劇場にもたくさん足を運びました。僕は1992年から1998年まで東京にいたんですが、渋谷公園通り劇場の支配人もしていたので、その頃は日常的に若手を見ていました。その後、大阪に戻って劇場から離れていたんですが、baseよしもとに行ったときは、なかなか面白いなと。すごく良い漫才をやっている子もいて、これは可能性があるなと思いました」

baseよしもとを視察したとき、一際気になる芸人がいた。1992年結成の兄弟コンビ「中川家」。言わずと知れた第1回M-1の覇者だ。

「中川家のことは前から知ってましたし、漫才が上手いっていうのも知ってました。彼らは早くから頭角を現して、テレビでも活躍していたけど、剛の病気が原因で仕事を外されているというのも聞いていた。久しぶりに劇場で見たら、やっぱり実力がある。他にも面白い若手はいたので、特別に中川家をひいきにするっていうことはなかったですけど、M-1をやると決まったときは優勝候補になるやろうなと思いました」

【後編はこちら】M-1グランプリが産声を上げた瞬間、島田紳助「若手の漫才コンテストをやったらどうや?」
AUTHOR

猪口 貴裕


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