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UPDATE|2023/10/14

グラビアで一世風靡・たしろさやかが振り返る芸能人生「胸が大きいのはコンプレックスだった」

たしろさやか 撮影/たむらとも


グラビアに出ると決断してからは、どう自分を売り出せばいいのかを真剣に考えた。当時はグラビアアイドルが飽和状態で、イメージDVDを出すハードルも低かった。だからこそ他との差別化を強く意識した。

「ありがたいことに3か月に1枚のペースでイメージDVDをリリースさせていただいたんですが、そんな中で存在感を出すためには、与えられたものをやるだけではなく、人と違うことをやらなきゃ埋もれてしまう。だから毎回、自分からアイデアを出すようにしていました。あの雑誌に出たい、こういう番組に出たいというリストを自分から出して、マネージャーさんと話をすり合わせて、『今度は、ここに挨拶に行こう』とか、『ここに営業をかけてみよう』と積極的に行動していました。

その甲斐あって、ヤンジャンさんやヤンマガさんなどの大きい媒体に頻繁に呼んでいただきましたし、次々とバラエティーのオファーもありました。もちろんホリプロという大きな事務所にいたのも大きいんですけど、結果が出ていたのでやりがいもありました」

順風満帆に見えた芸能活動だったが、2000年代後半になると、グラビアアイドルの牙城を崩す存在が頭角を現す。AKB48のグラビア進出だった。

「当時、私と同世代でグラビアを飾っていたのが、小阪由佳ちゃん、浜田翔子ちゃん、原幹恵ちゃんあたり。ほしのあきさん、熊田曜子さん、MEGUMIさんなど一時代を築いた上の世代の方々のグラビア活動が落ち着いてきて、ようやく私たちの世代が活躍できる時代がきたと思っていたんです。そのタイミングでAKB48の子たちが水着をやり始めて、あっという間にグラビアアイドルの出る場所がなくなっていきました」

グラビアアイドル冬の時代が到来した後も、たしろはコンスタントにイメージDVDをリリース、バラエティーでも存在感を発揮していたが、次第に失速を余儀なくされる。

「デビュー当時から寄り添ってくれたマネージャーさんが担当から離れてしまい、徐々に厳しい状況になっていきました。そもそも俳優になりたくて芸能界に入ったので、上手くシフトチェンジできれば良かったんですけど、ホリプロはバラエティーの部署と役者の部署が、しっかり分かれているんですよね。ずっと私はバラエティーの部署に所属していたので、そのイメージが強すぎたのかもしれません」
AUTHOR

猪口 貴裕


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