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UPDATE|2020/02/14

「指原莉乃に恩返しがしたい」“博多の暴走機関車” HKT48 村重杏奈、ブレイクまでの軌跡

村重杏奈 撮影/佐賀章広



──素に近いキャラになったと。2013年にはデビューシングル『スキ!スキ!スキップ!』で初めて選抜に入りましたね。

村重 だけど、もともとHKT48では4番手くらいに居たはずなのに『スキ!スキ!スキップ!』では8番手だったんです。これでまた「あれ?」ってなっちゃって。意外と自分って後ろの方なんだなって。やっぱりここに居続けるにはバラエティ担当に落ち着くしかないんだって、当時中学生だったんですけど、若いなりにすごい考えてたと思います。

──そういう話はメンバー同士でするんですか?

村重 当時はしませんでした。あの子、私より(ポジションが)前だ……とか、もう自分との戦い。いい意味であの頃はみんなの間にバチバチ感があって。今は5千周くらいまわって、みんなが譲り合いみたいになっちゃってるけど。あのバチバチも今思えばよかったと思います。

──2014年にはNMB48と兼任しています。

村重 もう、村重の全盛期! 1期生だから今まで先輩ってさしさんしか知らなくって、先輩ばかりの環境に行けたのはすごく勉強になりました。

──雰囲気は違いました?

村重 全然違って、HKT48って甘やかされてたんだなって気づきました。例えば、HKT48は曲の振り入れをするときは、ダンスの先生が振り入れしてくれて、それからみんなで合わせるって感じだったんですけど、NMB48さんは、事前に自分で振りを入れてくるのが当たり前だったんですよ。知らなくて、リハに行ったときに村重1人だけ全然踊れなくて。ホテルに帰ってボロ泣きしたこともありました。でも(山本)彩さんが振り入れしてくれたこともあって優しかったですね。仲が良かったのはりかにゃんさん(岸野里香)と、アカリンさん(吉田朱里)。村重が全然馴染めてないとき「一緒にご飯食べようよ」って言ってくれて。でも今その話をアカリンさんにすると「覚えてない」って言うんですよ(笑)。でも、優しくしてもらった側は覚えてたりするじゃないですか。今でもめっちゃ大好きです。アカリップをくれるから、持つべきはコスメをプロデュースしてる先輩だなって(笑)。

──2015年には、NMB48との兼任が解除されます。

村重 悲しかった記憶がありますね。だけど、その頃はHKT48とNMB48の活動が半々になってどっちつかずで、今思うと中途半端だったかなって思います。そして、その頃ちょっと悩んでいる時期でもあって。HKT48、NMB48どっちのファンの方にも、どんな顔していいか分かんなくて、すごく複雑な気持ちだった……。村重が悪いんですけど悩んでいました。

──今でこそ強靭なメンタルの村重さんですが……。

村重 そのときは逃げたかったです。でも、さしさんや大人の方に「今辞めちゃったら負けたことになっちゃうよ」って言われたりして悩んで。でも親にはずっと辞めたいって言ってました。

CREDIT

撮影/佐賀章広

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