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UPDATE|2020/03/11

水着グラビアも話題、キラフォレ・茉井良菜「三重県からメジャーデビュー!」

煌めき☆アンフォレント 茉井良菜 撮影/松山勇樹


──家族との思い出などはありますか?

茉井 小学生の頃は2つ上のお兄ちゃんが野球をやっていて、お母さんも野球に行ってしまうので、基本、土日はいませんでした。それでお父さんとずっと一緒に遊んでました。お父さんは昔、芸能事務所やレコード会社に努めていた人だったので、家に楽器とかマイクとか機材があるんです。それで遊んでいました。たまに楽器屋さんにも連れて行ってもらいました。

──学校ではどんな子供だったんですか?

茉井 明るい性格だったので、クラスの先陣を切るタイプでした。でも実は、小学生の頃から何回かイジメを受けていたんですよ。「羨ましかったから」とか理不尽な理由で次の日から誰も喋ってくれないこともありました。大人の人が味方をしてくれる状態でのイジメだったので、色んな人に支えられながら生きてましたね。

──中学に入学してからもイジメは続きましたか?

茉井 中1ぐらいまでは明るいキャラだったんですけど、中2の時にまたイジメられて。でもその時、理不尽な理由でイジメてくる人に腹が立つなと思ったんです。AKB48が当時は流行っていたんですけど、私がアイドルになったらその人たちを見返せるんじゃないかなと思って「アイドル オーディション」でGoogleで検索してみたら13ページ目ぐらいに、誰がやっているかも分からない、奈良のご当地アイドルを立ち上げるプロジェクトにたどり着いたんです。その時は、地域のお祭とかに出てチヤホヤされたらいいかな、イジメてた子たちの目につく所で活動して、見返せたらいいなぐらいの気持ちで、アイドルになりました。

──結果的に、イジメをしてきた人たちを見返すことはできたんですか?

茉井 結果、アイドルになったら、アイドルになったことを知ってもっとイジメられんたです(笑)。逆にそれがあって上っ面の関係では無い、アイドル活動をしている私を応援してくれるような友達に出会えました。

──アイドルになろうと思ったとき、ご家族に相談しましたか?

茉井 お父さんに真っ先に相談しました(笑)。全国のライブハウスを知っているような人だったので。両親からすれば、「自分たちがよく知っているライブハウスに娘が出てくれるなら」って言ってくれて、全面的にバックアップしてくれました。
AUTHOR

鳥羽 竜世


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