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UPDATE|2020/05/10

東京女子流・庄司芽生が振り返る10年(2)「1人でも欠けたら女子流の活動は終わると思っていた」

庄司芽生 撮影/山内洋枝



──そして翌2015年には「アーティスト宣言」という大きな決断をされます。

庄司 この年に女子流も結成5周年を迎えたことで、これまでのことを続けていくことは大事にしながらも、もっと進化・変化をしなくちゃと感じていたんです。今までとは違う環境に身を置くことで、自分たちに足りないものや、見えてこなかったものが見えてくるんじゃないかなって。そこで私たち、スタッフさん全員の「チーム女子流」で「今までにない新しいことをやっていきましょうね!」と話しあった結果、アイドルではなく、アーティスト宣言を出したんです。

──作詞への挑戦など楽曲の幅を大きく広げていき、さらにバンドや男性アーティストのイベントへの積極的な参加など、本当に今までにない領域へと足を踏み入れていった印象がありました。

庄司 そうですね。特にライブに関してはもがきっぱなしでした。今まで女の子が歌って踊るグループのライブを見てこなかったファンの方々に、楽しんでもらうだけじゃなく興味も持ってもらわないといけないわけじゃないですか。そのためにはどうする? って常に考えていたんですよ。今までは曲をバッ! と喋って、MCをして……というお決まりだった流れから、「頭に喋ってみる? この部分で手拍子してみる?」……みたいに、思い浮かんだことはなんでも取り入れていました。そのたびに失敗してはまた挑戦の繰り返し。本当に試行錯誤の毎日でした。

──もがきながらの日々を過ごす中、2016年には4人編成のスタートも切ることになります。

庄司 私たちずっと「誰か1人でも欠けたら女子流の活動は終わる」という意識を持って活動していたんですよ。何よりグループを卒業した(小西)彩乃の魅力的な歌が女子流を支えてきてくれたので、彩乃が抜けたら自分たちにはより大きな試練が待っていることはみんな覚悟していました。けど5年間やってきて、まだ何かを成し遂げたわけではないし、まだここでは終われないという気持ちが強くあったので、これで諦めるという選択肢は全くなくて。4人でこの試練を乗り越える気持ちがあったから、まだ続けていこうという前向きな気持ちになれたんです。今まで以上に女子流のことを考えさせてくれるキッカケを作ってくれました。

──変化の2年間を過ごした後、2017年6月にアーティスト宣言の撤回をされたときは驚きました。

庄司 色んな経験をしてきた結果、何かに縛られるのではなくて「みなさんが見て、感じてくれたままの東京女子流でいたいなぁ」とみんなが思ったんです。そもそも女子流って「私たちは、こういうグループです!」という決まりが昔からなくて(笑)。私たちは何をやっても私たちなので、枠を決めない方がいいね、ならば! ということで“原点回帰”しようとなったんです。

AUTHOR

田口 俊輔


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