根本的に向上心がない人間だとタブレット純は自己を冷静に分析する。しかし一方で「何かを表現したい」という気持ちはくすぶり続けていた。古本屋のバイトで貯めたお金で、自作の詩集を作ったこともあるという。
「詩集は2冊作りましたね。もちろん自費出版ですが。だけど完成された本を読んだら、あまりにも恥ずかしい出来で自分でも愕然とした。『これじゃダメだ!』と思って、誰にも見せる前に300冊すべてを燃やしましたから。自分で作っておいて何やっているんでしょうね(笑)。完全にこじらせていたと思います」
少年時代から憧れていた和田弘とマヒナスターズに加入したのは27歳のとき。ファン気分でマヒナスターズのオリジナルメンバー・日高利昭氏が運営する歌謡教室に通っていたところ、流れでオーディションを受けることになったのだ。
「オーディションといっても、スナックのカラオケで歌っただけなんですけどね。それを見て和田弘さんは『お前、今日からメンバーだからな』と言ってくださったんです。当時の事情を少し説明すると、マヒナスターズというのはメンバーの人間関係で揉めることが多くて、そのときも分裂騒動が起こっていたんですよ。ちょうどそういうタイミングで僕が現れたものだから、偶然そこに納まったわけです。結局、マヒナには2年間いましたね。加入から2年後の2004年に和田さんが亡くなってしまいましたから」
ミュージシャンから芸人へとまったく違う道を歩み始めように思えるが、タブレット純は「全部が繋がっている」と神妙に語る。和田からの言葉で忘れられないのは「決して笑わせようとするな」というもの。事前に考えすぎるきらいのあるタブレット純の特性を見抜いて、「気取らないで素の自分でいけばいいんだ」と励ましてくれたという。